授乳
最初から完母は諦めていたけれど
母乳はあげられるならあげたかったので
混合でいく予定だった
それに双子で完母だと、誰にもミルク手伝ってもらえなくてしんどいもんね
手助けあるときは片方誰かに飲ませてもらって私はもう片方に母乳をあげて、
夜はワンオペで片方ミルクと片方母乳の予定だった
2人とも母乳を飲むのがとても下手だった
練習はするけど乳首を口に入れるのも難しい
がんばって口に捩じ込んでもなかなか吸わない
搾乳してそれを飲ませるのがメインだった
1号は哺乳瓶でミルク飲めるけど
2号は哺乳瓶も下手くそで
吸ってるように見えて全然飲んでなくて
ミルク飲むのに1時間かかったりもした
練習したらうまく飲めると思ってたけど
全然飲めるようにならず
双子でどっちかが泣いたりするから
搾乳もままならず
どんどん母乳が減っていって
1ヶ月もしたら完ミになった
ただ1ヶ月過ぎて同時授乳をマスターすると
短時間でミルクが終わるからかなり楽になった
二刀流ならぬ二刀乳って言うんだって
私がもっと周りに頼るのが上手で
母乳練習や搾乳の時間取れたらよかったんだけど
なんせ生後半年の甥も帰省してて
大人がそっちに取られてたからね
この件に関しては語りたいけど語り出すとただの恨み節になる
ただ、しんどかった妊娠期から休む間もなくハードな双子育児が始まったのに
双子に加えて甥のことも見ないといけなくて
手伝ってもらうための里帰りなのに負担増えた感は否めなくて
産後の恨みは一生続くと言うけれど私は未だに恨んでるわ…
自己紹介
私(うみこ)
20代女性
かなりネガティブなくせに
面倒くさがりで雑
旦那
30代男性
かわいい優しい
兄(1号)
DDの右下担当
胎児ネームは膀胱圧迫男
弟(2号)
DDの左上担当
胎児ネームは肋骨蹴り男
1号と2号は二卵性なので全然似てない
1年前の話
丁度1年前に妊娠判定したのを思い出す
確か1年前も日差しが暑かった
コロナで仕事が休み多かったのもあって
1日1万歩近く歩いてた
子宝のお祈りに行ったり海に行ったり
妊娠できないなら痩せてやろうって
旦那は汗かきで付き合ってくれないから
1人で歩き回ってた
すごい妊娠様で、子どもを見るのもつらかった時期
子どものはしゃぐ声が耐えられなくて
どうして妊娠できないのか
そればかり考えていてつらかった
低温期はいつ排卵かピリピリして
排卵期は受精できるかピリピリして
高温期は着床できるかピリピリして
リセットでショックを受ける
そりゃまぁずっと気にしてるわな
職場の人につらいです〜って相談したり
妊活してます、こんな検査するんですって話したり
職場の人もなんやねんこいつってなってただろうな
(妊娠してからもつわりでしんどかったり卵巣捻れたり迷惑かけた)
1年前の今日にサイクリングを予定してて
もし妊娠してたら危ないしGWもあるし〜って
病院に指定された1日前に検査薬をしたら陽性で
急いで病院行った
あれから1年
多分一生で1番濃い1年だったかもしれない
多胎妊娠って一気に2人育てられて良いなぁって思ってたけど
妊娠中ほんときつかったし子育ても大変
多胎妊娠は安定期無いって本当だった
双子は2倍大変だけど
嬉しいこと楽しいことは何倍もだよって
先輩ママの言葉を信じてがんばろう
ちなみにサイクリング決行した旦那は
尻が痛かったらしく
行かなくて正解だった
サプリは気休めに飲んでる
妊活を始める前
→マルチビタミン&鉄
疲労感とかめまいがあったので
鉄分かなぁと思って摂ってたけど
別に貧血とかではなかったし効果は感じなかった
でもおかげで健康診断では
貧血の項目全て正常値ど真ん中
→命の母ホワイト
PMSでイライラするのが嫌で飲んでたけど
あまり効かなかった…
妊活中
ビタミンDを摂れば着床率が上がると聞いて
あと抑うつにも良いと聞いたので摂ってた
→葉酸
ビタミンDのサプリに一緒に入ってた成分
妊娠してから知ったけれど
多胎妊娠になりやすいらしい
妊娠中
→葉酸
妊娠初期だけじゃなくて
継続して飲んだ方がいいらしいけど
切迫早産で入院したときに
持ち込むの忘れて以来飲んでない
→ビタミンB6
つわりに良いと聞いたので摂ってた
効果はわからないけど気休め
初NICU
帝王切開後はお腹が痛くても
がんばって次の日には歩かされるという
私の場合は長期入院でずっと寝たきりだったことと
お腹の張り止めをしていたから出血量が多いだろうということから
次の日はあまり無理せず、できれば歩けたらいいねくらいだった
でも尿管が少し痛くて気になるから
早く抜いてほしくて、歩く気満々だった
輸血ギリギリの出血量だったらしくて
起き上がっただけでふらふらしたから
その日は歩くどころか車椅子にも乗れなかった
車椅子に乗れないと、NICUの赤ちゃんには会いに行けない
手術室で少し会っただけだから顔もあんまり見れていない
早く会いたかった
旦那がNICUに面会に行ってくれて
2人の写真を送ってくれた
管がいっぱいだけどちゃんと生きてた
吐き気が続いていたので吐き気止めを打ってもらう
寒気とほてりを繰り返して
起き上がれないしなかなかしんどかった
歩けたのは2日目
先生にはまだいいって言われたけれど
どうしても尿管抜いてほしすぎて
無理を言って歩かせてもらった
痛みよりもふらつきがしんどかった
ここでこけたらまた寝たきりになるから必死
背中に入っている麻酔は多分もう抜けていた
前回の手術のときもすぐ抜けたけれど
ベッドの背もたれ起こしたり倒したりのしすぎ?
NICUまでは車椅子で連れて行ってもらった
我が子たちは小さいのによくがんばってた
えらい
点滴もしんどかっただろうに
やっと広いところに出れてうれしいかな
少し早くてごめんね
産後
手術も終わってベッドで運ばれていると
ずっと待っていてくれた旦那に会えた
麻酔のせいか、吐き気と倦怠感がすごくて
旦那と少ししか会話できなかった
病室でぼんやりだるさに耐えていると
助産師さんが何人も集まってきた
足元見えないけれどすごい出血らしい
お腹を押されて血を出してもらう
保冷剤をお腹に巻いたりガーゼを中に入れたり
麻酔が残っていたから感覚はなかった
そのあと母子手帳に出血量2300gって書かれてた
意識が朦朧としてたのは貧血のせいかもしれない
夜は痛みは全くなかったけど
吐き気が強くてしんどかった
卵巣の手術したときもそうだったから
麻酔で吐き気しやすいタイプなのかもしれない
あと出血量が多すぎたせいかもしれない
出産の日
入院中、よく夜中同室の人がナースコール押して
破水しましたってLDRに運ばれるのを見て
私もいつ破水してもおかしくない段階だけど
それがこわかった
帝王切開が確定してるから陣痛味わうのも嫌だった
長く入院してるから、入院時の状態を知ってる助産師さんには
むくみすぎて息切れしすぎてドン引きされてた
その日は朝から下にいる子がいつもより下の方にいる感覚があった
もう産まれる直前かなぁ
旦那にそろそろ産むかもしれんから連絡つくようにしててね〜って言っていた矢先
朝先生から産みましょうと言われた
36週と3日、もう充分がんばったと思う
その時間には旦那はもう出勤していた
旦那は職場が遠いからがんばって戻ってきてもらいつつ
NSTをやっていたら、7、8分でお腹が張る
緊張してるのかなぁとか言っていたら
手術直前にも関わらずリトドリンの流量を上げられた
副作用に耐えながら術後に向けて荷物の整理をする
リトドリンとマグセント、この2本の点滴ともおさらばだ
2ヶ月ずっとありがとう
二度と味わいたくない
昼過ぎに手術が始まった
先生に「今何してるんですか」って
めっちゃ話しかけようと思っていたのに
麻酔が始まってからすぐ気分が悪くなった
そういや卵巣の手術のときもそうだった
吐き気止めを打ってもらっても良くならず
ずっと目を閉じてた
「赤ちゃん出てきますよ」と声をかけられて
がんばって目を開けたら泣き声が聴こえた
あぁ、無事そうでよかった
よくがんばったね、と少し触らせてもらって
でも気持ち悪すぎてまたすぐ目を閉じた
顔もあまり見れなかったけど
2人とも生きててよかった